チェスの歴史について(日本)

はじめに

チェスの歴史についての続きです。
この記事では、古代インドから現代までの日本チェス史を概観します。
ただし、チェスの歴史はきわめて起伏に富み変遷が激しいため、学術的に不明確な点がまだまだ多いそうです。予めご了承下さい


1.将棋の伝来


将棋の起源は、チャトランガ(chaturanga)という古代インドのボードゲームです。

これが西進してチェスの原型となり、シルク・ロードから中国に伝わって中国象棋となり、日本に伝わって将棋になったと考えられています。

日本に伝えられた正確な時期は不明ですが、出土した最古の駒が平安時代前期のものであることから、それ以前に伝えられていたことは確かなようです。


2.日本将棋の誕生


ただし、この時代の将棋は、まだ現行の将棋とは大きく異なっています。

例えば、この当時の将棋には持ち駒の概念がありませんでしたし、桂馬の性能もナイトと同じものでした。

チェスと同様、マスを増やしたり、駒の性能や種類を変化させたり、ルールの改変を繰り返しながら普及しました。現行のルールに落ち着いたのは、室町時代ことだそうです。


3.江戸時代の将棋と西洋将棋


西欧諸国との貿易のなかで、チェスは日本に伝えられました。

17世紀ころの南蛮船来航図をみると、稀に甲板上でチェス(らしきゲーム)に興じている船客が描かれています。

平和な江戸時代、将棋は庶民の間でも広く愛好されていました。
そのためか、チェスは「外国の将棋に似た遊び」程度の認識でしかなかったようです。鎖国キリシタン禁止令などの影響もあり、ヨーロッパ文化が抑制されていたことも一因でした。


4.明治維新後のチェス


明治維新後の文明開化制作により西洋文化が注目されていた頃から、しばしばチェスについて書かれた文献が見つかります。

日本でチェスのルール紹介した最初の文献である、喫霞仙史『西洋将棋指南(1869)』なども出版されましたが、やはり少数の日本人の愛好物に過ぎませんでした。

戦争が激化すると遊びに興ずること自体が困難になりましたし、チェスはことさら「敵性国の遊戯」として排除されてしまいました。


5.戦後


戦後日本には、アメリカをはじめ各国の占領軍、軍属など多くの外国人が駐留していました。
チェスにとっては、彼らのなかにチェスの愛好者が多数いたことや、西洋文化が強力に紹介される社会情勢は追い風になりました。

コミニュケーション・ツールとしてチェスに興味を持つ人や、洋間のインテリアとしてチェスセットを買う人なども現れました。


6.日本チェス協会


こうした煽りを主導したのは、坂口允彦らの"チェスに興味を持った"将棋のプロ棋士たちでした。*1

この坂口らが中心となって、1962年に日本チェス連盟が設立します。しかし、数年後に幾つかの要因が重なり自然消滅してしまいます。

その後、1967年に日本トーナメントチェス協会として設立、翌年の国際チェス連盟加盟にともない日本チェス協会JCA)と改称し、現在に至っています。


7.現在


彼らの活躍もあり、消長はあるものの定着化に向かいました。

現在、日本のチェス人口は100万人ほどと推定されています。しかし、全世界のチェス人口が3億人であることを考えると、他国に比べて充分に普及したとはいえません。


*1:ご存知のように、将棋の強い人は、チェスも強いのです。