外国語学習の前に /鈴木孝夫『ことばと文化』

評価★★★★☆


著者/鈴木孝夫
1926年東京に生まれる。1947年慶応義塾大学医学部予科卒業、1950年同大学文学部卒業。専攻は言語社会学。現在、慶応義塾大学名誉教授


文化が違えばことばも異なり、その用法にも微妙な差がある。人称代名詞や親族名称の用例を外国語の場合と比較することにより、日本語と日本文化のユニークさを浮き彫りにし、ことばが文化と社会の構造によって規制されることを具体的に立証して、ことばのもつ諸性質を興味深くえぐり出す。ことばの問題に興味をもつ人のための入門書。

外国語を学習する前に理解しなければならないこと。

日本人が友人知人に出会った時の、一番普通な挨拶は「おじぎ」である。一方、西洋人にとっての一般的な挨拶は「握手」である。しかし、頭を下げる日本流の挨拶を、日本人同士の間でしてもよい場合のすべてに、握手で置き換えることはできない。

たとえば、こちらが男であって、相手が婦人であるときは、先方が手を出すのを待つことが礼儀とされる国もある。

私たちが異なった文化に、しかも限られた範囲で接するときは、個々の文化要素を統括する全体の構造がつかめることは稀であり、多くの場合、自分が出会う一部、または特殊な実例を、一般的に拡大してしまう傾向がある。しかも、この一般化は、自分の文化に従って行われてしまう。

外国語を学習する際にも、こういった具合に、自国語の構造を対象に投影して理解するという方法をとりやすい。これは外国語学習者にとって、いつまでも付きまとう本質的な悩みである。

例えば、英単語を覚えるときに、「drinkは、のむ・のみ込む・吸い込む…」などと日本語の概念を当て嵌めて丸暗記してしまう。しかし、毒や薬も日本語では「のむ」と言うし、不注意で異物を「のみ込む」ときに「drink」は使えない。

「drink」は、「人の体を維持するに役立つような液体を、口を通して体内に入れる行為」だからである。


外国語と自国語は異なる言語である。

たとえ或る外国語の単語の使用法が、自国語の特定の言葉のそれと、ある場合に合致するからといって、自国語のその単語の、他の使い方まで、これがあてはまると思ってはならないということを、外国語を学習する前に理解しておかなければならない。