キリスト教について

全体像の把握






 1. 30年 エルサレム教会の誕生
 2. 1054年 東西分離
 3. 1517年 宗教改革
 4. 1558年 首長令


この順に"あらすじ"を辿ります。


30年 エルサレム教会の誕生

・イエスの死後、エルサレムにいた12使徒キリスト教会を設立
・筆頭だったペテロが最初の指導者になる
・各地への伝導がはじまる
・イエスの死後、ユダヤ教から改宗したパウロがはじめてヨーロッパに布教した。
パウロが「イエスの思想や死の意味」を宗教的に論理構築した。
新約聖書が編纂された。
・信者増加、313年ミラノ勅令によりローマ帝国の国教化

1054年 東西分離

・ローマ国内で5つの大きな教区に分けられ、それぞれの中心地にある教会の主教が総主教になった。
・325年 ニカイア公会議、イエスの神性を巡る教会内での対立がはじまる。
・7世紀、アレクサンドリア(エジプト)・アンティオキア(トルコ)・エルサレムの3教会が、イスラム教傘下に入る。
・残ったローマ・コンスタンティノープルの2教会が東西ヨーロッパでの大勢力へ発展した。
・諸々独自の発展を遂げる。
1054年に教義の違いから相互に破門を言い渡すかたちで分裂した。

1517年 宗教改革プロテスタント

プロテスタントとは、カトリック教会への抗議という意味
・14世紀 イギリスのウィクリフボヘミアのフスがカトリックの教義は聖書から離れていると教会を批判。
・1517年 ルター 「聖書主義」「万人司祭」を唱えドイツ・北欧に伝播した。
・1536年 カルヴァン 「予定説」を唱え、スイス・ドイツ南部を中心にに伝播した。


1534年 離婚許認可

プロテスタントの影響を強く受けているが、分離の原因は政治的な理由による。
・イギリス国王ヘンリー8世は、妻キャサリンとの離婚を認めない教皇パウルス3世と対立、首長令を発布し、ローマ教会から独立したイングランド国教会を設立した。
・この改革が不徹底であると批判したピューリタン清教徒)が起こした革命が清教徒革命
・これが聖公会の祖となる。
イングランドの植民地拡大に伴って各地に伝播した。


現代

以上が大まかな分類ですが、他にも無数のセクト・カルトが存在します。
Wikipediaによると、2002年の集計でキリスト教徒の人口は、約20.4億人
その内訳は、以下のようになっています。

カトリック約10.8億人
プロテスタント約3.5億人
正教会約2.2億人
その他教派約3.9億人

もちろん、少数派だからといって「キリスト教として正しくない」わけではありません。