ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の関係について

世界人口69.6億人
ユダヤ教徒1300万人
キリスト教21~22億人
イスラム教徒15~16億人




この記事では、教義や戒律には触れずに、この3つの宗教の関係と成立について、出来るだけわかり易くまとめます。

私は、いずれの宗教の信徒でもありませんので、あくまで非教徒から見た客観的な内容になっています。信徒の方々にすれば失礼な表現もあるかと思いますが、ご容赦ください。

まず、結論から

Q. ユダヤ教キリスト教イスラム教の関係とは?
A. キリスト教イスラム教は、ユダヤ教から派生した宗教である。


どういった経緯で派生したのか、どんな共通点があるのか、母胎であるユダヤ教を理解することが、一番の近道だと思います。

ユダヤ教

重要なポイントは3つです。

上から順に説明します。

ユダヤ教一神教

唯一神」とは、「the Creator」や「造物主」とも訳され、「すべてのものをつくった、たった一つの神様」といった意味です。ユダヤ人はこの「唯一神」を崇めています。客観的に見るとき、このことを「一人の神様だけを信仰する宗教」という意味で「一神教」であると表現します。

対して神道は「多神教」、つまり日本には「個性的な神様がたくさんいる」のがあたりまえなので、日本人が理解しがたい壁の一つかもしれません。

しかし、この「一神教」という概念は、「キリスト教」「イスラム教」に受け継がれる重要なポイントです。

預言者

預言者とは、唯一神からの命令を"預かる"特別な人のことです。
「箱舟を作ったノア」や「海を割ったモーセ」などが有名でしょうか? 彼らは、神様からの命令を聞いて、事前に船を作って民族を守り、海が割れる場所を教えられて民族を逃がしたのです。
未来を予知する予言者と混合しがちですが、まったく違います。


これらの預言者たちを経由した「神様からの命令」をまとめたものが「タナハ」、これがユダヤ教徒にとっての教典(=教義を記したもの)です。

メシア(救世主)思想

メシアはヘブライ語で救世主という意味があります。基本的には、いつの日にか「自分達(=ユダヤ教徒)を救ってくれる存在を神様が遣わしてくれるはずだ」という思想です。

タナハにもメシア思想を暗示させる記述がいくつかありますが、
一説には、戦争に敗れ、故郷を追われ迫害された苦難の経験から、うまれた思想だと考えられています。

ここまでのポイントを押さえておけば、あとは簡単です。

キリスト教の成立

「キリスト」は、ギリシャ語でメシアという意味です。
つまり、キリスト教の開祖であるイエス・キリストは、ユダヤ人の(今でいうところの)宗教指導者であり、

  • 「イエスはメシアではなく、本当のメシアはまだ現れていない」
  • 「イエスこそがメシア(救世主)である」

このような対立のすえに、イエスをメシアだと信じた人たちがユダヤ教から抜けてキリスト教を創っていったのです。


後に、イエスの教えとして新しく編集した教典を新約(=新しい)聖書として、従来の経典であるタナハを旧約(=古い)聖書としました。当然、ユダヤ教徒新約聖書を認めませんが、キリスト教徒は旧約聖書があっての新約聖書だと考えるので同様に教典としているのです。

イスラム教の成立

およそ600年後に、また似たようなことがおこります。つまり、

このように主張したのがイスラム教の開祖であるムハンマドです。

イスラム教は、ムハンマドが授かった「神様からの言葉」をまとめた「コーラン(=読まれるものを意味するアラビア語)」を最高の教典としました。当然、ユダヤ教徒キリスト教徒は「コーラン」を認めませんが、やはりイスラム教徒は「タナハ」と「新約聖書」も重要な教典としました。

要点をまとめると

共通している基本的な構造は、「唯一神」がいて、「唯一神預言者に言葉を伝える」ということです。

違いは、預言者(=開祖)がどう位置づけられているか、各宗教からみた教典の認識を整理すると理解の助けになります。

ユダヤ教タナハ
キリスト教旧約聖書新約聖書
イスラム旧約聖書新約聖書コーラン

客観的に見ているので、このような見方になりますが、それぞれの立場からすれば、どれも"正しい"主張です。

よく勘違いされている用語

ヤハウェ神様の名前とされる「YHWH」をヘブライ語で読んだもの
エホバヤハウェを英訳したもの
アドナイ「我が主」のような意味、ヤハウェと呼ぶのは恐れ多いので
アッラーアラビア語での呼称
ゴッド英語での呼称
これらは基本的にすべて同じ存在を指す呼称です。なので「アッラーの神」とか「エホバの神」という呼称はそもそも間違いで、「アッラーとゴッド」が争っているなんて表現も本当はおかしいのです。

参考までに

ユダヤ人の歴史」を古代から現代まで網羅した文庫本3冊もの長編です。確かに、私も神話を無理やり史実に仕立てている印象を持ちました。しかし、傍観者でいるとあたかも客観的であることが正しいことだと思いがちですが、"正しい"わけではありません。かなり読み応えがありますが、読むだけの価値はあると思います。



聖書は、カトリック教会とプロテスタント諸教会による『新共同訳』を選べば間違いありません。わかりやすい日本語であることはもちろん、日本のキリスト教会やキリスト教学校で最も多く採用されているという実績もあります。



本当の『コーラン』は、預言者ムハンマドの口を通して語られたアラビア語の原典のみとされています。つまり、日本語訳された『コーラン』は、いわば解説書なのです。しかし、「コーランを読めばイスラム教がわかる」と云われるほど良くできた経典なので、やはり一読する価値はあると思います。