仏教について

仏教の分派




仏教の前史から鎌倉仏教まで

  • 1. 【仏教の前史 ―古代インド思想】

BC13世紀末、中東からアーリア人ガンジス川流域に進出し先住民を支配、【バラモン教】が成立する。BC6世紀以降、農耕社会の成熟や貨幣の普及による商工業の活性化を背景に多くの都市と群集国家が誕生。バラモンが権威を失い多彩な新思想が育まれる、特に有力な6人は【六師外道】として仏典にも詳しく記録されている。

BC5世紀頃、仏教の成立は【釈迦族】の王子【ゴータマ・シッダッタ】が【悟り】を達成して【仏陀】となり、その教えを人々に説いた時点にはじまる。必然的に【仏陀の教え】は古代インド思想の影響を受けていた。

  • 3. 【結集 ―根本分裂】

仏陀の死後、教団は拡大するも教えの解釈を巡って保守と革新で分裂する。最初の分裂を【根本分裂】、続く分裂を【枝末分裂】と呼ぶ。分裂した各宗派は独自の理論体系を構築していった。結集とは、仏陀の教えを確認する会議のことを指す。

次第に出家者は部派内部に閉じこもり自己の完成に専念していった。これに衆生救済すべきと批判して起こった改革運動が【大乗】、「部派仏教の一部が大乗仏教に変化していった」という説は、現在では否定されている。後に【ナーガールジュナ】が思想体系として組織し【初期大乗仏教】が完成、以後独自の発展を遂げる。

  • 5. 【中国伝来 ―中国仏教の成立】

1世紀頃に伝来。すでに高度の文明を有していた中国は、外来宗教である仏教を自国流に昇華した。歪曲とするか発展とするか見る人によって違うだろうが、いずれにしても本来の仏教とは著しい差異ができた。そして日本人が接触した仏教はほとんど例外なしにこの【中国仏教】だった。

7世紀前半にチベット全土を統一したソンツェン・ガンポ王の二人の后によってもたらされた。唐から嫁いできた文成公主は中国仏教を、ネパールから嫁いできたブリクチは上座部仏教を信奉していたことから、両者が混在する形で国教として始まる。
その後独自の発展を遂げるが、特に観音信仰が盛んで、観音菩薩の化身であるダライラマは宗教上の権威として尊ばれている。

550年頃に伝来。蘇我氏が政権を確立し仏教思想を中央集権に利用した。しかし宗教理念に対する反駁などはなく、異国の神を祀る方が天変地異や疫病の流行に"効く"だろうという呪術的な理由だった。以降も政治的に保護されつつ国分寺や大仏を建立するなど、独自性をもって発展する。

800年頃、最澄は【中国天台宗】を、空海は【中国真言宗】を中国で学び日本に持ち帰った。増長した【奈良仏教】に対抗して朝廷はこのニ宗を保護。この二人の評価は立場によって随分異なるが、国と【日本仏教】の関係は変わらない。

  • 8. 【鎌倉仏教 ―日本独自の宗派の乱立】

天皇の実権が武士に移ったことで【平安ニ宗】の権威低下、戦乱飢饉など苛酷な環境下での一般庶民の要望などを背景に【鎌倉六宗】が台頭、各々発展していく。例えば【空也】や【一編】などはある種の原点回帰といえるかもしれない。一方で戒律の放棄、他力本願の教義など全く仏教的でない変貌を遂げ現在に至る。

  • 9. 【以降】

【檀家制度】や【神仏分離令】からの【廃仏毀釈運動】など、日本仏教にとって重要な転換期だが、インド仏教との比較として考えるともはや必要ないので省く。