日本教とは?/山本七平『日本教の社会学』

2012年1月2日(月) ★

日本教の社会学日本教の社会学 (1981年)
山本 七平
小室 直樹


ページ 343ページ
出版社: 講談社 (1981/08)
発売日: 1981/08

Amazonで詳しく見る

目次

第一部 日本社会の戦前,戦後
第一章 戦後日本は民主主義国家ではない
第二章 戦前の日本は軍国主義国家ではない
第二部 神学としての日本教
第三章 宗教へのコメント
第四章 日本教の教義
第五章 日本教の救済儀礼――自然,人間,本心,実情,純粋,序列,結婚
第六章 日本教における神義論
第七章 日本教ファンダメンタリズム
第三部 現代日本社会の成立と日本教の倫理
第八章 日本資本主義の精神
第九章 日本資本主義精神の基盤――崎門の学

雑感

日本人のための宗教原論』を読んでから、小室直樹の著作を幾らか読んだが、宗教・憲法天皇制など難しい問題ながら論理的で読んでいて気持ちの良い良書が多い。『ソビエト帝国の崩壊』なんて今日でも色褪せない普遍的な魅力がある。

しかし今ひとつ理解しがたいのが、度々引き合いに出される、社会学者の山本七平が提起した「日本教」なる概念。曰く、資本主義や民主主義が真に定着しないのも、仏教や儒教あるいはその他諸々の思想哲学が日本に入るや似ても似つかないものに変容してしまうのも、原因はこの日本独自の行動様式にあるという。
カトリック秘跡唯識カースト、あるいはファンダメンタリストの論理も"自分の好き嫌い"を抜かせば成る程と思える。けれども「日本教」は、どうにも理解出来ない。共感できる実例はままあるが、あまりに抽象的なのである。

山本七平の著書も何冊か読み、特に本書で朧気ながらその輪郭が見えた気がするので少し整理したい。

日本教の教義は「空気」を共有すること。

日本教における所謂 "教義" は「空気」。しかし、この「空気」は一義的に明示されず、なんらの原則を有しない。また常に社会規範や人間関係に依存しており、それらから析出された存在になることはできない。
規範とは、正当性を有し、その遵守が要求され、遵守しない場合には制裁が加えられる性質のこと。他宗教の規範・教義に比べ随分曖昧だが、「空気」もこれらの特性を持っている。

  • 「燃料片道、涙で積んで、行くは沖縄、死出の旅」、
  • 「お前はよく分かっていないな、世の中はそういうもんじゃないぞ」

これらも空気。これらの無媒介的癒着は、前時代的だとか非論理的、云々ではなく日本の特徴(だった)。

「空気」に「水を指す」人間は排除される。

この「空気」を潰す唯一の方法は「水を指すこと」。
例えば「事実」を「事実」として言うと「空気」が壊れる、それは背教。
そこで「実情」が必要になる。「実情」とは「1.いつわらない思い 2.実際の事情」。

日本人は「実情」が「事実」と異なる場合には、事実と違うことを言っても嘘つき呼ばわりはされない、優しい嘘は許される。もちろん欧米人は事実と違うことを言う人は嘘つきとされる。

「空気」は変化する。

個人が「水を指す」と共同体から排除される。しかし社会全体の「空気」が変化するサイクルがある。空体語(本音)と実体語(建前)とが上手くバランスしていれば社会に一つの空気が支配的になる。ところが、実体語はだんだんと萎んでいく。すると、バランスを維持するために空体語を振り落とさなければならなくなる。その結果、空体語は軽くなり空気が沈静する。また実体に対応しなくなって実体語の機能を果たさなくなることも、実体自体が変化することもある。

2・26事件、殉教と純情、安保闘争、新卒採用、護憲改憲、横並びの報道、原発… なんでも「日本教」で説明がつく。曰く、日本教サクラメントは『自然,人間,本心,実情,純粋,序列,結婚』、なるほど。

『武士道』を超えられるか。

日本人なら、この「日本教」の概念にさほど違和を感じないけれど、これを外国人に説明するとなると難しい。対して新渡戸稲造の『武士道』なら全く安心。その意味でこの「日本教」を"説明可能な概念"まで昇華できればと思う。