【雑感】『日本人のための宗教原論』

2011/12/25 読了 ★

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう…
小室直樹


単行本: 396ページ
出版社: 徳間書店 (2000/07)
ISBN-13: 978-4198611682
発売日: 2000/07

目次

第1章 宗教は恐ろしいものと知れ
第2章 宗教のアウトラインを知る
第3章 神の命令のみに生きる「キリスト教
第4章 「仏教」は近代科学の先駆けだった
第5章 「イスラム教」は絶好の宗教の手本
第6章 日本に遺された「儒教」の負の遺産
第7章 日本人と宗教

雑感

宗教は畢竟、このうえもなく恐ろしいもの。しかし世界が縮んだ昨今、宗教知らずは身を滅ぼす。カルト教団が跋扈するにしても、日本人の宗教無知が原因。「キリスト教的表現をしているが、これはキリスト教ではない」「仏教用語を使っているが、これは仏教ではない」といった判断がなかなかできない。

そもそも、宗教という単語も明治時代に「religion」の訳語として創られたもの。明治以前は「仏法」なり「儒学」なりと表現されていたけれど、日本において宗教という概念は案外新しい。さて宗教とは何か?
ヴェーバーは宗教の定義を「エトス(行動様式)」とした。つまり、倫理道徳や習慣風俗も武士道もマルキシズムも資本主義も、ある種の宗教だということ。
本書は、この定義に沿って「キリスト教」「仏教」「イスラム教」の三大宗教と日本に深い影響を与えた「儒教」を比較・考察している。難解な論や日本人に理解しがたい要所(空・唯識・予定説・贖罪…)をわかり易く(大胆に)解説している。

《宗教の2種類の分類方法》

啓典とは最高教典のこと。つまりユダヤ教における『トーラー』、キリスト教における『福音書』、イスラム教における『コーラン』が啓典。

『トーラー』で神が救うのは"イスラエルの民"であり、儒教は"政治万能主義"よい政治の結果万事が上手くいくと考える。キリスト教でイエスが、イスラム教でムハンマドが手を差し伸べるのは個人、仏教は各々が修行をして解脱を目指す。

キリスト教

仏教は「法前仏後」 つまり、まず「法(ダルマ)」があり、その存在を仏陀が発見し衆生に伝えた。対して、キリスト教は「神前法後」 何よりもまず神が先にあり、その後に神が説いた教えがある。この"神の教え"をひたすらに信仰することが、キリスト教の根本教義。古代の宗教は多神教が一般的であったが、キリスト教の派生元であるユダヤ教が崇めたのは(創ったのは)唯一神、この絶対の神の存在から啓典が生まれる。
付随した特色が予定説。仏教の因果律に対し、予定説は神が全てを決める。神に対しあれ程の献身を捧げた預言者モーセは(現世では)報われなかった、努力しても報われない自然環境、歴史が因果律否定の起因になったのかもしれない。

しかし、欲深い人間にアブラハムのような信仰は難しい。信じなければならないと焦るほど、疑念の念が湧いてくる。楽ができるなら楽をしたい。権力なり金なりが集まれば邪な考えに取り憑かれる、政治的に利用しようとも考える。
聖書を読めなくても賛美歌を歌っておけば、秘蹟(洗礼・堅信・回心・聖餐・叙階・婚姻・終油からなる儀式)で救われるなら、それにこしたことはない。
売官・免罪符・ネポティズム… ダンテも法王を地獄に堕とした。

いい加減、ルターが宗教改革を起こすも、
頭のよい(加えて信仰心が強い)僧侶たちが頭を捻って、長い年月を掛けて自分たちに都合のよいように教義をねじ曲げたのだから簡単にはいかない。なおす方とて、歪んだ棒で殴っているようなもの。以降は「カトリック教」なり「プロテスタント教」なりと。
そもそも原始キリスト教がローマの弾圧から逃れるため、二分法的思考法を取ったときから「パウロ教」でも良かったのか?

《仏教》

上記したように、仏教の構造は「法前仏後」・「個人救済」。
目的は、釈尊に習って煩悩を解脱し涅槃に入ること。しかし、これが実に難解。難解なうえ、政治的・地理的・歴史的理由も加わってキリスト教以上に屈折している。例えば日本人が思っている輪廻転生というのは、ヒンドゥー教の観念が随分混ざっている。布教のために恐ろしく明解なヒンドゥー教の教義やインド人の俗信を使ったのだろうが、地獄や極楽が"実在"することはないし、解脱した釈尊が"生まれ変わる"ことはありえない。

仏教は(特に大乗は)輪廻転生の考えを受け継いだが、アートマン(魂)は否定した。魂の実在を否定してしまったら、何が転生するのか。これをトコトン突き詰めて考えると唯識に行く(と著者はいう)。つまり、現行の薫習された阿頼耶識の中の種子は前世、前々世…から蓄積されたものであるから…。ということらしい。本書にはわかり易い挿絵があったが、ここではせめて箇条書きにしてみる。

  • 唯識」正しくは「唯識所変」。
  • その名が示すとおり、識以外は何もないという教説。
  • 識とは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識と意識(第六識)を加えたもの。
  • 修行の目的は煩悩をなくすこと、この煩悩は我執からなる。
  • 我執とは「執着」。善行も深く自省すると「自分のため」である。
  • 我執の本体を末那識と呼び、さらに奥に阿頼耶識という識がある。
  • 人間がする行為を現行という
  • 人間が現行をすれば種子が残る。
  • 種子とは現行の痕跡であり、阿頼耶識に薫習される。
  • 薫習とは香りが衣服などに染み付くこと。
  • Q.魂ではないなら"何が"転生するのか?
  • A.前世、前々世…の現行から阿頼耶識に薫習された種子。

これが最単純モデル。所謂「カントは原文で読むと理解が早い」を差し引いても、「魂が生まれ変わる」の方が遥かに俗耳に入り易い。

さて、煩悩がある限り輪廻は終わらない。死ねば六道のどこかに転生してしまう。天上の神々も然り。修行し空を悟り煩悩が消え成仏するまで"生きる苦しみ"は続く。仏曰く、次期仏である弥勒菩薩が修行を完成するのが五十六億七千万年後とのことである。「南無阿弥陀仏」で解脱させてもらえる"日本の浄土宗"とは随分違う。「檀家制度」やら「妻帯」やら「極楽浄土」やら…日本独自の仏教思想は、渡辺照宏『日本の仏教』が非常にわかり易い。

イスラム教》

イスラム教に関しては、本書と重複する部分も多いが「原論シリーズ」の『日本人のためのイスラム原論』がより詳しい。簡単に纏めると「宗教の戒律」「社会の規範」「国家の法律」が全く一致している宗教らしい宗教。しかし出来のよさが仇になり近代国家形成には著しく不利になった。