【雑感】『悪童日記・三部作』

2011/5/19 読了 ★

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)悪童日記 (ハヤカワepi文庫)
アゴタ・クリストフ(著)(1935-)
堀茂樹(訳)(1952-)

早川書房
文庫: 301ページ
出版社: 早川書房
発売日: 2001/05

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雑感

1986年に刊行されたアゴタ・クリストフのデビュー作。続編の『ふたりの証拠』(1988年)、『第三の嘘』(1991年)と合せてアゴタ・クリストフ三部作とされる。
この物語は、1冊の本の1章・2章・3章や1巻・2巻・3巻ではなく"三部作"なので、続編を読むまでに間を設け、各々の余韻を楽しむのもよいかもしれない。

悪童日記』の読後感は、『三部作』の読後に受けた別の衝撃で塗り潰されてしまった。続きを読みたい衝動に駆られて『ふたりの証拠』の新鮮な読後感を楽しまなかったことも少し後悔している。

悪童日記

死、安楽死、淫蕩、強姦、獣姦、孤独、労働、貧富、飢え、エゴイズム、サディズム、いじめ、差別、暴力、悪意、戦争、占領、略奪、ジェノサイド…
こんな人間の醜さが、"無垢"な少年たちの日記を通すと異常に際立つ。心温まるエピソードなど一つもないし、読後感も酷い。けれど、世界観と巧みなプロットに惹きこまれて途中で本を閉じることが出来ない。

読む前にある種の覚悟が必要かもしれない。

"牽かれて行く人間たち"を犬畜生だと言い放った女中を"ぼくたち"が殺した。
"ぼくたち"を諌めた司祭は隣家の貧しい娘を買っていた。
貧しい娘は、占領軍の兵士を幾人も引き入れ、犯されて死んだ。
貧しい娘の母は死ぬことを望み、"ぼくたち"が殺した。

悪童日記』というタイトルは、作品の内容を具体的に、かつ反語的にイメージさせることを狙った訳語であり、原題の『Le Grand Cahier』を直訳すると「大きな帳面」といった意味になるらしい。

"ぼくたち"は悪童なのだろうか?

ふたりの証拠

片割れの名前は「リュカ」、村人から白痴と呼ばれているがそうは思えない。(けれど"ぼくたちっぽさ"は、むしろ「マティアス」から感じた。)『悪童日記』の背景が見えたのかと思ったが、所々に違和感を覚える。

父親との近親相姦の子を生んで路頭に迷っていた「ヤスミーヌ」とその不具の子ども「マティアス」を"ぼくらの従姉"と同じ条件で住まわせる。

一方でリュカは、恋人を無実の罪で殺された図書館司書「クララ」の家に通い続ける、目的は禁書か彼女自身なのか? 片割れの名前、「クラウス(CLAUS)」はアナグラム、括弧がなければ分からなかっただろう、この類の言葉遊びが解説なしに理解できないのは残念。

本書は日記の外側、それが双子の神聖を"汚して"いく物語だと思った。
しかし、8章で「クラウス」が町に帰ってきた。

第三の嘘

完結篇にして、この物語の始まりと終わりが朧気ながら見えてくる。
読了後に『悪童日記』を含め何度も「三部作」を読み返し、登場人物を書き出し、括弧を付け、矢印を引き、並べ替えて、謎は残るも物語の中の"時間"や"繋がり"の見当はついた。」

けれど、よく出来たミステリ類の印象はとても持てない。

散々鮮やかに振り回されてきたからなのか、あるいはこの物語の完成図はそもそも歪なものなのかもしれない。

なるほど、彼女自身の"体験"が彼女の物語に多大な影響を与えていることは想像に難くない。すると、この隙間は、アゴタ・クリストフの自伝『文盲』が埋めてくれるのだろうか。