【美の巨人たち 感想】 歌川広重 「名所江戸百景・深川洲崎十万坪」


2013年3月30日 放送



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今週の芸術家


・作者 歌川広重(1797-1858)
・国籍 日本
・職種 画家


1797 江戸・八代洲河岸の火消の長男として誕生
1809 13歳のときに相次いで両親を失う
1811 歌川豊廣を師事する
1812 画号「広重」を授かり、歌川の姓を名乗る。
1823 家業の火消同心を辞め、絵師を専門の職業に
1832 一立齋と号を改める。
1833 東海道五十三次」 の刊行が始まる
1841 甲州へ旅行
1845 奥州・安達へ旅行
1848 信濃国飯田へ旅行
1851 お辰を養女に迎える
1852 房総へ旅行
1853 黒船来航
1855 安政の大地震で江戸壊滅状態
1856 『江戸百景』の連作を開始
1858 享年62歳。死因はコレラだと伝えられる。


今週の作品


・作品 名所江戸百景・深川洲崎十万坪(1857)
・場所 太田記念美術館
・材質 浮世絵


描かれているのは、どこまでも広がる荒涼とした大地。遠くにはうっすらと筑波山が浮かんでいます。暗い空からは雪…。その空高くでは、鷲が天を覆うように翼を広げています。その姿は、地上に何か獲物を見つけたのか、まるで急降下の態勢に入っているかのよう。その鋭い視線の先を辿っていくと、波に浮かぶ桶を狙っているように見えます。なぜ、この荒涼たる大地が名所として描かれているのか?そして、この桶の意味するものとは?

雑感

1853年の黒船来航から翌年の下田と函館を開港。幕末の動乱がはじまり、追い打ちを掛けるように、「安政の大地震」によって江戸は壊滅状態。

歌川広重が、『名所江戸百景』に取り掛かったのは、この大地震の4ヶ月後のことだそうです。

そう考えると、江戸の名所というモチーフには、確かに「東海道五十三次」などとは別種の、なにか強い意図がある気がします。多く用いられた俯瞰型の構図や近像型の構図も、"江戸の名所"を表現するためのものだったのでしょうか。

2012年9月22日に放送した 『月に雁』以来の歌川広重でしたが、さすがは北斎と並ぶ、「ジャポニスム」の絵師ですね。今後も定期的に取り上げて貰いたいと思います。