【美の巨人たち 感想】 歌川広重 「名所江戸百景・深川洲崎十万坪」
今週の芸術家
・作者 歌川広重(1797-1858)
・国籍 日本
・職種 画家
1797 | 江戸・八代洲河岸の火消の長男として誕生 |
1809 | 13歳のときに相次いで両親を失う |
1811 | 歌川豊廣を師事する |
1812 | 画号「広重」を授かり、歌川の姓を名乗る。 |
1823 | 家業の火消同心を辞め、絵師を専門の職業に |
1832 | 一立齋と号を改める。 |
1833 | 「東海道五十三次」 の刊行が始まる |
1841 | 甲州へ旅行 |
1845 | 奥州・安達へ旅行 |
1848 | 信濃国飯田へ旅行 |
1851 | お辰を養女に迎える |
1852 | 房総へ旅行 |
1853 | 黒船来航 |
1855 | 安政の大地震で江戸壊滅状態 |
1856 | 『江戸百景』の連作を開始 |
1858 | 享年62歳。死因はコレラだと伝えられる。 |
今週の作品
・作品 名所江戸百景・深川洲崎十万坪(1857)
・場所 太田記念美術館
・材質 浮世絵
描かれているのは、どこまでも広がる荒涼とした大地。遠くにはうっすらと筑波山が浮かんでいます。暗い空からは雪…。その空高くでは、鷲が天を覆うように翼を広げています。その姿は、地上に何か獲物を見つけたのか、まるで急降下の態勢に入っているかのよう。その鋭い視線の先を辿っていくと、波に浮かぶ桶を狙っているように見えます。なぜ、この荒涼たる大地が名所として描かれているのか?そして、この桶の意味するものとは?
雑感
1853年の黒船来航から翌年の下田と函館を開港。幕末の動乱がはじまり、追い打ちを掛けるように、「安政の大地震」によって江戸は壊滅状態。
歌川広重が、『名所江戸百景』に取り掛かったのは、この大地震の4ヶ月後のことだそうです。
そう考えると、江戸の名所というモチーフには、確かに「東海道五十三次」などとは別種の、なにか強い意図がある気がします。多く用いられた俯瞰型の構図や近像型の構図も、"江戸の名所"を表現するためのものだったのでしょうか。
2012年9月22日に放送した 『月に雁』以来の歌川広重でしたが、さすがは北斎と並ぶ、「ジャポニスム」の絵師ですね。今後も定期的に取り上げて貰いたいと思います。